掩体壕

 先日、いつも楽しみに拝見させていただいているある方のブログに、「掩体壕は光が丘にも残っているみたいです。」というコメントを見つけ、60年ほど前に、飛行機の格納庫として親父達鼻たれ小僧らのあこがれの存在だった、グラントハイツ(当時の光が丘の名称・・・米空軍の家族住宅があった)の掩体壕を懐かしく思い出しました。

 あれは、川越街道の成増から下赤塚に向かう途中、右側の芝生の中に厳然と存在し、今しも零戦が格納されているという体をなし、鼻たれ小僧の冒険心をくすぐる存在でありました。

 当時、親父達が遊び回っていた練馬区北西の外れで白子川(偉いローカルな話題ぢゃ)沿いの地域、通称山八(やまはち)には、戦時中防空壕として使われていたと思われるコンクリート製のトンネルが点在し、ゼロ戦が格納されているのを見た等の噂がまことしやかに流れていたのであります。(戦後まだ15年位しかたっていない時代ですから)

 そういえばあの掩体壕はどうなっているんだという思いから、今日はこの暑い中それを探しに、3号と共に出かけたのであります。

 当時の記憶を遡って探すには、あまりに遠い過去なので、ネットから情報を仕入れたところ、親父の家からは1キロほどしか離れていないことが判明。午前10時頃出発し、その10分後には、現場発見。ネットの写真そのままです。

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掩体壕発見

 当時の雄姿とは、変わり果てて、いまは住宅の一部と化しておりました。

 しかし、親父は、はたと気づいたのであります。当時のゼロ戦格納庫(当時の思い出を込めてこう呼ばしてください。)は、川越街道を通ると、開口部が川越街道側(北~北東側)を向いておりました。

 この掩体壕(あえてこう呼ばせてください)は、開口部が西~西南西側を向いています。

 これは、あの頃親父達の心をくすぐったゼロ戦格納庫ぢゃないっ。違うやつだ。

 残念ながら、そう結論づけることにはなりましたが、本当に有意義な時間でありました。

 末筆ながら、偶然今年2月に茂原市掩体壕を訪れましたので、その写真を添付いたします。

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