九十九里ポタ

 台風接近のせいか、今朝は結構涼しく感じます。雨の降らないうちにボタしてこようっと。

 と言うわけで午前6時過ぎ出発。ちと遅いですけど。で、まず一番近くの不動堂海岸にいって波の調査。

不動堂

 写真では波はあまり高く見えませんが、いつもより荒いです。

ミニベロ

 ここらでいつも3号ばかりが被写体になっているので、お化粧直しをしたミニベロが不憫で・・・先日不動堂に来た際に撮った1枚です。

 さて、本日の話に戻ります。

不動堂2

 まだ6時45分だというのに ライフセーバーのお兄ちゃん、お姉ちゃんが到着しました。海岸を見てもサーファーは見当たらないのですが、台風の波を当て込んでこれからどんどん来るのでしょうか。

 この後2号は風のため倒され、買い物かごの中は、砂だらけ・・・

 気を取り直して元来た道を戻り、蓮沼方向へ。本須賀海岸で、町営駐車場の管理人のおじちゃん達とおしゃべり。

 その後、片貝海岸方向に戻り作田川にかかる九十九里橋を渡ると、いつも見る「竹久夢二の碑」と「真忠組志士鎮魂碑」が気になり行ってみました。

竹久夢二の碑

 竹久夢二作詩の宵待草という詩が刻んであります。竹久夢二って漫画みたいな美人?画を描く画家と思っていたら詩人でもあったのね。勉強になりました。

 あ、伊能忠敬記念公園がここから2.5キロだ。後で行ってみましょう。

 で、隣には真忠組志士鎮魂碑が。

真忠組志士鎮魂碑

 真忠組志士って知らなかったので調べてみました。

真忠組(しんちゅうぐみ)は、幕末期に房総半島九十九里浜片貝地方で蜂起した攘夷派の民間団体。浪人が指導する貧民たちが、次第に九十九里一帯で(北は八日市場から南は茂原まで)武器、資金を強制的に富裕農民、網主、商人から徴収する中で「世直し」的要素を一部持ったと言われる。そのことをもって、真忠組を在野の自由民権運動の先駆けとして評価する論者もいる。 Wikipediaより

真忠組 - Wikipedia

 最初は、攘夷運動として開始されたんだけど、、当時の他の尊攘グループのように名家や公卿の支援を受けることなく、九十九里地方の豪商や豪農、網元から「強請」してその金を貧困にあえぐ農民、漁民に分配したためありがたがられたっていうことらしい。ネズミ小僧みたいなもんだね。

 さて、作田川右岸を上り

作田川右岸

伊能忠敬記念公園へ。この道は結構いい道ですね。

 走っていると川岸で鴨の分隊が日光浴をしています。その姿を取ろうとしたらスマホを準備している間に次々と逃亡されました。

鴨の分隊

鴨の分隊2異能

 伊能忠敬記念公園に近づくにつれ田園風景が広がります。

田園

 よく見るともう稲の穂は撓わに実り、頭を深く垂れています。

稲の穂

 このところ、大雨や高温等の災害が続き農作物への影響が懸念されていますが、千葉のお米は大丈夫そうです。

伊能忠敬記念公園

 到着。

伊能忠敬記念公園2

案内

 ここは、伊能忠敬が出生して11年間生活したゆかりの地で、その後佐原の伊能家の養子となりました。その後、51歳で家督を長男に譲り、江戸に出て暦学、数学、測地法を学んだ後56歳で北海道の測量に出発、その後17年かけて本州、四国、九州の全沿岸の測量をなしたそうです。ってことは、このとき72歳だったんですね。現代の男性の健康寿命がこれくらいなんだから、凄い話であります。親父もあやかりたい。

伊能忠敬記念公園3

銅像

 NHK正月時代劇で橋爪功さんが演じた四千万歩の男や加藤剛さんの映画 伊能忠敬 子午線の夢を見ました。凄い人だったんですね。

 かなり前に、佐原の伊能忠敬記念館も行ったことがあるんですが、もう覚えていないため、また今度行ったら紹介します。